私は、広告業界に入って、20年以上が過ぎました。
最初から広告業界に入りたかったわけではなく、実は大学を卒業するときには、デパートに入るつもりでした。
もともと大学は陸上競技をやりたくて行った訳で、その先の展望等ありませんでした。
就職の先生に勧められるまま私はデパート業界のことを調べ始めました。
その当時の札幌は、いろいろなデパートがあって売り上げは丸井今井と三越がトップを争っていました。
会社案内を取り寄せ、札幌市内のデパートすべて行ってみました。
そこで私は、後に西武グループに吸収される五番館に興味を持ちました。
なぜならば、丸井今井や三越の売り上げが五番館を約2倍の売上があったのでです。
どうしてこんなに5番館は売上が低いんだろうもしかしたら、何か原因があるのではないかと。
丸井や三越にはある商品が同じ値段で五番館にも置いてある。
そこで私は五番館品ぞろえが悪いと世間に誤解されていると思ったのです。
私の第一希望はこうして五番館になりました。
世間の誤解をといてやろうと・・
やがて会社案内が届き、会社には「広報」というセクションが世の中にある事が分かりました。
そこで働く社員さんの話が掲載されていて、私の第一志望は 「五番館・広報部」になったのでした。
よし、五番館の良さをドンドン世の中に知らせるんだ!
と意気揚々としていました(若さ、ですね〜)
しかし会社説明会に出たあたりから、入社できるとは限らないし(ここまでははなから覚悟の上)
入って広報部に配属される保証はないというか何年もかかりそうだ・・
これを最短でやれるにはどうしたら良いのか??
考えた末に広告代理店というものがある事が分かり、私は広告代理店を目指す事を決意しました。
しかし、求人を出している会社が極端に少ない(汗)
おまけに、その当時は協定があって8月にならないと内定を出してはいけなかったのに
実質上は青田買いが行われていて、就職活動解禁日には他の会社の試験を受けられないように温泉などに招待されて
拘束されていると言った事が行われてたそうです。
そんな中、広告業界は8月から求人票の受け付け開始。
ここでコケたら行く先が無い・・・と言った状況でした。
私はパブリックセンターとピーアールセンター、サン広告社の3社を受ける事にしました。
(って言うか3社しか求人出していなかった)
3社の会社説明会やOBとの面談を通じて体育会系の私にはピーアールセンターの
雰囲気が好感度が高く、
紆余曲折を経て第一志望はピーアールセンターになったのです。
その当時、学生の人気業種は銀行、電力、新聞社etcでしたが何と広告業界も人気で、
ピーアールセンターの場合で、会社案内請求が700件!求人数は5人・・・
私は陸上競技を続けたいと言う理由だけで大学に行ったので、勉強の成績はサ・イ・ア・クでした。
今でも単位が足りなくて卒業できない夢を見るほどです。
筆記試験と論文と面接が1次試験でした。
それなりに四文字熟語とか勉強して臨んだのですが、問題を見てビックリ。
今の総理大臣の名前をフルネームで漢字で書け(正解:中曽根康弘)とか、
夏の甲子園の始球式を投げたのは?(書けなかった)
左に、ルイヴィトン、ダンヒルなどブランド名の群、
右に、紳士用ネクタイとか婦人用香水など商品群 を線で結べとか
まったく勉強した事以外の言ばかり・・・・・・
動揺しつつ論文を書き(動揺しながら書いたので中身忘れた)
面接は集団面接で、
なぜ広告業界に入りたいと思ったのか?学生時代は何をしていたのか?等など聞かれました。
広告業界を目指した理由では五番館の名前は伏せて言ったはず、
学生時代の事は陸上競技部でキャプテンとして組織改革を行った事を言いました。
(当時緊張していたのと20年以上前(昭和63年)の事なので記憶がマダラに・・)
筆記試験でうなだれて、面接では役員から鋭い突っ込みをいれられてスゴスゴ帰り道につきました・・
家に着くと既に電話が入っていて「明日、出社するように」との事。
何だろうな(?_?)と思っているとイキナリ役員面接だと!(聞いてないよ〜そんなの!)
10人くらいの学生が呼ばれていて順番に役員室に呼ばれます。
しつこいくらいに「ウチが第一志望なのか」「憧れだけで広告の仕事をしたいのではないのか」容赦ない質問攻めにあいました。
あ〜ダメだったかも・・と思っていると数日後に採用通知が来てビックリ!
こうして晴れて広告業界の一員となったのでした。